読書感想文『ロミオとジュリエット』
読書感想文
『ロミオとジュリエット』
はじめに
読み始めて真っ先に思ったのは「落語じゃん!」ということである。僕自身が【落語バカ】というのがあるせいか、「落語にできる」「落語みたい」と思えるほど、軽快な科白回し、冗談の多さ、道化役の存在に楽しめて、訳者の力が大きいのだろうが、古典的な古さはあまり感じられなかった。「落語的」と思えたヒントは感想にて。
あらすじ
花の都ヴェローナにて並び立つ二名家モンターギュ家とキュピレット家は古き遺恨により、刃傷沙汰が絶えない。そんな折、モンターギュ家のロミオとその友人たちはキュピレット家の舞踏会に紛れ込む。そこでロミオが出会ったのは、キュピレット家の一人娘ジュリエット。二人は一目で恋に落ち、次の日には修道僧ローレンス立ち合いの下、二人だけで婚礼を行う。
婚礼も束の間、ロミオたちが舞踏会に来たことを良しと思わなかったキュピレット家のデュボルトとロミオの友人マキューシオが決闘を始める。止めに入ったロミオだが、マキューシオが死に、敵討ちにとデュボルトを殺害する。
喧嘩両成敗として、死刑ではなく追放を言い渡されたロミオは、ジュリエットに一時の別れを告げ、近くの街に留まる。一方、キュピレット家では、領主の縁者であり伯爵のパリスとジュリエットの婚礼が両親によって決められる。
ジュリエットは自死を覚悟し、ローレンスに相談に行くと、仮死状態になる薬を渡され、墓地にてロミオを待ち、二人で遁走する計画を立てる。
結婚式当日、仮死状態になったジュリエットは墓地まで運ばれる。一方、ロミオのもとにはローレンスより計画の手紙が送られると思いきや、不幸なことか計画の手紙は届かずに、ジュリエットの悲報のみが届けられる。
嘆き悲しむロミオは、毒薬を手に墓地を訪ねる。死を覚悟したその時に、ジュリエットの死を弔いにパリスがやってくる。妻の死を侮辱しにきた重罪人め、と襲い掛かるパリスだったが、あえなくロミオにやられてしまう。パリスへの追悼とジュリエットの愛を叫び、毒薬を飲み干すロミオ。
ローレンスが計画の失敗を知らせに駆け付けるとそこには血に塗れたロミオとパリス。嘆くローレンスの前で、眠りから目覚めるジュリエット。しかし、その目の前には亡骸となったロミオの姿。ジュリエットは、ロミオと死の接吻ののちに、短刀を胸に刺し、ロミオの横に倒れこむ。
領主、両家の前でローレンスが事の顛末を話し、悲しみの下で両家は和睦を行い、ロミオとジュリエットの恋の物語は皆に語り合われた。
感想
全体において一番はなんといっても舞踏会で二人が初めて出会い、踊り、口づけを交わすシーン。ここでの二人のやりとりは見事。自らを巡礼、ジュリエットを聖者の像と例え、唇の罪を浄めるためと口づけを交わす。それに対して、ジュリエットが唇に罪が居座ったままとと咎め、再度口づけを交わす。なんともロマンチックなやりとりだろうか。
名台詞と共に語られるジュリエットの愛の告白の場面
「ああローミオ、ローミオ、どうしてあなたはロミオなのですか?」「あの薔薇って名前の花は別の呼び名だって甘い香りに変わりはないでしょうに、」
では、一目で恋に落ちた自らを恥じ、律しながらも抑えきれない愛を叫ぶ姿に、古典的な古さは感じられない。(ひと昔前の古さは否めないが。)
また、冒頭の喧嘩のシーンで、相手になんて言うのかをいちいち確認する男や、ひたすら昔話を繰り返したり、ジュリエットと奥方の前で態度を180度変える乳母、婚礼のためにきたのに悲しい曲を強要される楽団など、常に挿入される道化役の存在が、話全体を軽快なものにしており、またやりとりも「落語的」である。
令和です。
平成が終わり、令和が始まった。
始まったというべきか、令和になったというべきか。
正直、なんの関心も持っていない。それでも世間はどうやらお祭りムード。
まるで年始のよう。たしかに年始には違いないが。
こんなに興味がないのは、なぜだろう。
まず、僕自身が平成生まれだからかもしれない。
平成を振り返ったり、平成を代表する○○、平成ベスト○○なんて企画を見かけては、勝手に疎外感を感じているのか。
なぜなら、僕が目にするもの、触れるもの、体験するもの、平成以前の作品や昭和の時代からあるものかもしれないが、
僕にとってはそれは平成のものなのだ。
次に、元号自体に興味がない。
元号で時代を語ることの意味をそこまで見いだせない。
その点、確かに31年で終わった平成はちょうどいい長さだったのだろう。
時代の区切りとしては丁度良く、文明の発達のスピードも申し分ない。
だが、昭和が終わり、平成になって何か変わったのだろうか。
何かを語る上で、平成という元号で区切る意味があるだろうか。
平成が終わり、令和になったところで何も変わらない。
世の中を動かしているのは昭和の人間だ。
元号を決めた、元号に関する懇談会、全閣僚に平成生まれは一人も居ない。
第一、平成生まれの政治家が全体の何パーセントいるだろうか。
そんな改元の良い点をあげるとすれば、
何かを始めるのには丁度良いという点だ。
こんなブログを書き始めるには。
さよなら、バイバイ、PWS
私、タコス中村は、今年の最終戦PWSゴールデンマーケット大会をもちましてPWSを離れることになりました。今までたくさんの声援ありがとうございました。選手としては離れますが、もしかしたらスタッフ席や客席に出没すると思いますので、その時はどうぞよろしくお願いします。
思い起こせば、PWSに入団したのは17歳、高校三年生の夏。受験生ということもあり周りは心配しましたが、おかげさまで無事にデビュー。大学入学は一年後に持ち越されました。
入団した年の秋にはヒールターンをし、ヒールユニット求職係に加入。翌年にはリーダーの田川求職を追い出し、大学合格記念でSWC王者白虎とのタイトルマッチ。ジャック・ハマーを返すも、スプラッシュマウンテンで沈みました。
その後、当時の代表勇司とのタッグでタッグベルトを取り、ユニットも殺戮新波(さつりくニューウェーブ)に改名。わずかな防衛と黒歴史的扱いの北海道アマチュアプロレスサミットは二回とも選手として出場できました。殺戮新波が解散にあたり、同期のミノルッティとのシングルマッチは自分のベストバウトにあたります。
そして、函館でのオホーツクブラスナックルをかけたリーグ戦では、クリオネマンとの決勝戦を真っ暗なパーキングエリアで行い優勝。車のライトに照らされながら僕はチャンピオンになりました。
団体初のタッグトーナメントでは、PWS初の女性レスラーエリ・ジョボビッチとタッグを組み、ぐりとぐらを惨殺しました。
十周年の真ワクワクマニアでは、ベテラン軍として団体最年長のジョージ牛とキャバクラの割引券を賭けて戦いました。
新ユニット制では無認可田川保育園で楽しくお酒を飲み、その後のわんころりんでも、ひどい内容の会話を楽しみながらお酒を飲みました。
最近ではイソロク代表の補佐としてちょこまか動き回っていました。
他にも、イロソク代表の催眠術にかかったり、イソロク代表の車中で英語の「a」と「the」の違いを30分かけて話したり、CEOに二週間に一度飲みに連れて行ってもらったり、当時の彼女と喧嘩してセージさんにこっぴどく怒られたり、クリオネマンと雪山で戦ったり、酔った白虎にトイレで便器へのパイルドライバーを食らいそうになったり、勇司代表に年上への言葉遣いで怒られたり、どんどん入団しては辞めていく後輩から舐められたり、モノノケから喧嘩を売られたり、愛と誠とキャバクラのはしごをしたり、TANAさんと二人で熱い話から下世話な話までしたり、数え上げればきりがないほどの思い出があります。
昔、打ち上げの帰り、地下鉄南北線の車中にてイソロク代表がこんなことを言いました。「俺は絶対PWSを、プロレスを辞めない。だって将来子供に自慢できるんだよ。『昔パパ、チャンピオンだった』って。」
僕もいつか子供を連れて、「パパ、あそこのリングで戦ってたんだよ」と言う時が来るの夢見て、これからのPWSを応援していきます。皆さんも変わらぬご愛顧でPWSを応援よろしくお願いします。そして、今まで本当にありがとうございました。
PWSとの出会い(2)
さよなら枕
この前、久しぶりに落語しましたよ。
今回は枕で話そうと思ったけど、時間の都合上出来なかった話を。
「枕」とは、噺の本編の前に噺に関わる内容だったり、全く関係ない内容だったりするのですが、いかんせん書き起こしたことがないので、なるべく口語に近づけて書きたいと思います。
実は、僕、いまお付き合いしている人がいなくてですね。
まぁ最近流行ってる言葉で言うと「生産性」がないというやつです。
すごい言葉ですね。「生産性がない」。
杉田水脈さんの言葉ですか。いろいろテレビや新聞で話題になりましたけど。この問題について、言いたいことは二つだけで。
まず、子どもを産むことを「生産」とは言いませんよね。「出産」ですよね。ヒト・モノ・カネ、「生産」はモノに対してですよね。
だって聞いたこと無いですよね。「あら、お腹おっきくなって、生産日はいつ頃ですか?」とか。「聞いて奥さん、近所の田中さんご夫婦、おめでたですって」「あら、生産活動頑張ったのね」なんて。ヒトに対して生産って酷いですよね。
あともう一つは、LGBT、まぁ今はLGBTQやほかの呼び方もありますが、そのうちのLGBに対して言えば、単純な話なんですよね。
例えれば、目玉焼きに醤油をかけるか。マヨネーズをかけるかだけなんですよ。簡単にいえば。どう思います?どっちでもいいですよね。
じゃあ、なぜ抗議しているかというと、「マヨネーズをかける人には目玉焼きを提供しない」だとか「マヨネーズをかける人はうちの店から出入り禁止にする」とか、そういうことが起きてるからで。じゃあなぜ醤油派が反対しているかというと「マヨネーズをかけると伝統的な目玉焼き文化が壊れる」だとか、「マヨネーズ派が醤油派を壊滅に追い込む」だとか勘違いしてるんですよ。だって普通に考えたらそんなことないでしょ。
ねぇ、同性愛を認めると同性から言い寄られて困るとか言いますけど、「目玉焼きにマヨネーズかけろ!」と言われても、みなさん「いや、いいです」とか言って断りますよね。それと同じですよ。「ごめん。おれマヨネーズかけたくない」って言えばいいんですよ。
他にも、同性婚を認めると出産率が下がるとか言いますけど、今、同性婚禁止されてても出生率下がってますよね。関係ないですよね。もしね、認めれば養子とか取りやすくなりますし。そしたら今度は、両性愛者に育てられたらどうのこうのって。
親がマヨネーズかけるから子供も必ずマヨネーズかけるとは思いませんよね。父子家庭やら母子家庭というのも普通に居ますし。
だからね、いつまで勘違いしてるのかなぁと思うんですけどね。
本番では今回の噺の題名である「首ったけ」という言葉に関するエピソードとキャバクラの話をしました。ちなみにいつもこのような政治色が強い話をしてるわけでなく、普段の生活で思いついた話を適当にしてるだけです。まぁこんな話も記事にして良いかなと。
ちなみに僕の実際の噺はこちらで観れます。
https://youtu.be/-OCj46dMFbQ
PWSとの出会い(1)
高校三年生の時、クラスの格闘技好きと周りを置いてけぼりにしながら、
総合やプロレスの話をする変わった少年だった僕。
クラスにプロレス好きは二人。今でも付き合いがあるN氏と担任のみ。
進級してしばらくたった五月の中頃、ニコニコ動画でプロレスタグを漁っているとある動画にヒットした。
「プロレスリングサッポロ」の文字。再生すると倉庫のような場所で、走るたびにボスボスと音がするリングの上で戦う大人。
説明文には「札幌で活動する社会人プロレス団体」。
これが僕とPWSの出会いでした。
札幌でプロ以外でプロレスをする人たちがいる。
すぐさまプロレスリングサッポロで検索し、HPを隅々まで読み込む。
今以上に痩せて、運動神経も良くなく、しかも受験生だった僕は、
三日間悩み、「とりあえず、レフェリー希望でメールをしよう」と思い立つ。
返信が来て、「今度の体育館練習に参加してください。一応運動出来る格好を」と書かれていた。そうして僕は、高校指定の真緑のジャージと名前入りのTシャツを持って体育館に向かう。わくわくしながら。