中村生活記録運動

私、中村の生活を記録するだけ

さよなら、バイバイ、PWS

  私、タコス中村は、今年の最終戦PWSゴールデンマーケット大会をもちましてPWSを離れることになりました。今までたくさんの声援ありがとうございました。選手としては離れますが、もしかしたらスタッフ席や客席に出没すると思いますので、その時はどうぞよろしくお願いします。


 思い起こせば、PWSに入団したのは17歳、高校三年生の夏。受験生ということもあり周りは心配しましたが、おかげさまで無事にデビュー。大学入学は一年後に持ち越されました。
入団した年の秋にはヒールターンをし、ヒールユニット求職係に加入。翌年にはリーダーの田川求職を追い出し、大学合格記念でSWC王者白虎とのタイトルマッチ。ジャック・ハマーを返すも、スプラッシュマウンテンで沈みました。
その後、当時の代表勇司とのタッグでタッグベルトを取り、ユニットも殺戮新波(さつりくニューウェーブ)に改名。わずかな防衛と黒歴史的扱いの北海道アマチュアプロレスサミットは二回とも選手として出場できました。殺戮新波が解散にあたり、同期のミノルッティとのシングルマッチは自分のベストバウトにあたります。
そして、函館でのオホーツクブラスナックルをかけたリーグ戦では、クリオネマンとの決勝戦を真っ暗なパーキングエリアで行い優勝。車のライトに照らされながら僕はチャンピオンになりました。
団体初のタッグトーナメントでは、PWS初の女性レスラーエリ・ジョボビッチとタッグを組み、ぐりとぐらを惨殺しました。
十周年の真ワクワクマニアでは、ベテラン軍として団体最年長のジョージ牛とキャバクラの割引券を賭けて戦いました。
新ユニット制では無認可田川保育園で楽しくお酒を飲み、その後のわんころりんでも、ひどい内容の会話を楽しみながらお酒を飲みました。
最近ではイソロク代表の補佐としてちょこまか動き回っていました。


 他にも、イロソク代表の催眠術にかかったり、イソロク代表の車中で英語の「a」と「the」の違いを30分かけて話したり、CEOに二週間に一度飲みに連れて行ってもらったり、当時の彼女と喧嘩してセージさんにこっぴどく怒られたり、クリオネマンと雪山で戦ったり、酔った白虎にトイレで便器へのパイルドライバーを食らいそうになったり、勇司代表に年上への言葉遣いで怒られたり、どんどん入団しては辞めていく後輩から舐められたり、モノノケから喧嘩を売られたり、愛と誠とキャバクラのはしごをしたり、TANAさんと二人で熱い話から下世話な話までしたり、数え上げればきりがないほどの思い出があります。


 昔、打ち上げの帰り、地下鉄南北線の車中にてイソロク代表がこんなことを言いました。「俺は絶対PWSを、プロレスを辞めない。だって将来子供に自慢できるんだよ。『昔パパ、チャンピオンだった』って。」
僕もいつか子供を連れて、「パパ、あそこのリングで戦ってたんだよ」と言う時が来るの夢見て、これからのPWSを応援していきます。皆さんも変わらぬご愛顧でPWSを応援よろしくお願いします。そして、今まで本当にありがとうございました。f:id:djk0133:20181022150631j:plainf:id:djk0133:20181022150716j:plainf:id:djk0133:20181022150742j:plainf:id:djk0133:20181022150750j:plainf:id:djk0133:20181022150807j:plainf:id:djk0133:20181022150824j:plain